うにょのブログ

ただのホモ

「マジメは顔だけにしろ」

 真面目であることは社会的には肯定されています。しかし実際的にはどうでしょうか。

 

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)

 

 心理臨床界のすごい人である河合隼雄さんが『こころの処方箋』で「マジメも休み休み言え」というエッセイを書かれております。一部抜粋してみます。

 うっかり冗談を言うと、「冗談も休み休み言え」と叱られることがある。冗談もいいが、そうのべつまくなしに言うべきでない、ということだろう。これと同様に、「マジメも休み休み言え」と言えそうな気がする。(p.58)

 ともかくマジメだが、何となく人に嫌われたり、うとんじられたりする人がある。言うこともすることもマジメで、その人の話を聞いていると、「なるほどもっとも至極」というわけで反論の余地がない。もっともだと思いつつ、しかし、心のなかで妙な反発心が湧いてきたり、不愉快になったりしてくる。そこで何とか言ったみたいと思うものの、相手の方が何しろマジメで、非の打ちどころがないのだから、それに従うことになる。ただ、そのときに残った心のもやもやが溜まってくるためもあってか、そのマジメな人を何となくうとんじてしまう。ここでその人が手のつけられないマジメ人間のときは、何だか自分の評判が悪そうだから、ガンバラなくてはと一層マジメになるので、悪循環が生じてしまう(p.59)

 マジメな人は自分の限定した世界のなかでは、絶対にマジメなので、確かにそれ以上のことを考える必要もないし、反省する必要もない。マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢にさえ通じるところがある。自分の限定している世界を開いて他と通じること、自分の思いがけない世界が存在するのを認めること、これが怖くて仕方がないので、笑いのない世界に閉じこもる。笑いというものは、常に「開く」ことに通じるものである。(p.61)

 

 これと同じように、「冗談は顔だけにしろ」という言葉があるが、「マジメは顔だけにしろ」と言える気がする。ある場面においては、顔はマジメにしとかないと社会的に怒られるかもしれないからね。

 僕は、何しろマジメだったから、遊びがなかった。笑顔を向けて近づいてくることだったり、ボケて冗談を言うことだったり、身体的な接触だったりなどの遊びのサインを僕に対して示してもらっても、僕はマジメだったから、そのサインをムシしてしまっていた。ホント、マジメは顔だけにしたいものです。