うにょのブログ

ただのホモ

正しさより楽しさ

 ブログなので、今日も頭でっかちなことつぶやきます。

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 「正しさより楽しさ」というワードがあるけど、実感してきました。正しさって外部の基準を内在化しているんだよナァ。一方で、楽しさって自らの基準なんだよナァ。たぶん。正しく生きた結果、死ぬとき、神に「えらかったね」って評価されて天国に行けるわけでもあるまい。正しく生きて、楽しければ、それりゃあいいですけど、楽しさより正しさが勝ってしまうと、主従が逆になっているんじゃないカ。

 正しく生きて、周りの遊んでばっかりのヤツらを「そんなんじゃあダメだよ。正しく生きないと」って言いながら、健康管理とか勉強とか仕事をしっかりして、年取ったときに、文句をぶつけてたヤツらが不健康で先に死んで、そしたら文句をぶつける人がいなくなって、正しく生きてきたのに、自分の手元には何も残ってなくて、このまま死ぬだけ。はてしてヤツらと私はどちらが幸せだったのだろうか、なんてことを想像してしまった。

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 あと、”あの人”なら、僕が楽しくないと思うような状況でも、楽しく過ごすんじゃないかなあと考えた。たとえば、田舎はゲイの出会いにとって絶望的ですけど、それでも、いつも楽しそうな”あの人”なら、そんな状況でも、何かしらの楽しみを見つけて、それなりに楽しんでるんだろうなあって思ったんですよな。

 人間には、どんな状況でも、遊び、楽しむチカラがあるのだと思います。そのチカラは、とても偉大だと思います。「楽しみながら」は偉大ですな。

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 人間関係は、well-beingに最も大切だと思いますが、その人間関係の基礎は、遊びだと思います。遊びをどのように定義づけるかで、もちろん範囲は変わってきますけど、広義にとらえれば、遊びなくして良い人間関係はないのではないでしょうか。それを考えると、遊びをもっと大切にしたいと思いました。

 遊びとか、笑いとかって、一緒にそうすることができたら、概念的だったり社会的だったりな属性とか関係なく、生身の人間そのもの同士の原初的な交わりができるような感じがする。その交わりの前では、親和的にならざるを得ないのではないか。

 だからさ、そんなことより一緒に遊ぼう(^-^)