うにょのブログ

食う寝る動く

つぶやき3

チェコ好きさんのブログで見て、ちょっとニュアンスは違うんだけど、また、恣意的に解釈するんですけど、「世界は自分のものではない」という考えはとてもよいなあと思った。それは、当たり前の話なんですけど、なんか楽になるなあ、って。世界を自分のものではないと放棄することで、逆説的に力強く生きられると思う。自分のものではないために、相手のものでもなくなる。世界は相手のものでもないのだから、自分は好き勝手生きられる。しかしながら、自分のものでもないので、みんなを肯定できるし、自己中心性が行き過ぎて自分が苦しくなることもない。自分と相手のどちらが正しいかという次元から、正しさを明け渡し、互いの正しさが両立する次元へシフトした気分だ。

 

②コミュ力が高い人に魅かれるなー。コミュ力というか、んー、世界や他者を親和的に捉えることができる人に憧れる。僕がいままでそうじゃなかったから。今まで僕は敵対的な立場を取りがちだった。明確に意識はされていないが、正しさを争奪し相手より優位に立つような意図があったと思う。批判的な立場をとり、もっといえば、これはクリティカルシンキングで、学問において、ひいては生きるうえで大切な思考法なのだといわんばかりであった。でも、ここまでいろいろやってみて、いろいろなことに気づいた。敵対的な立場を取りがちなのは、僕がホモであるために差別構造の中に組み込まれていることが大きな原因だと思っていた。でも違った。むしろその差別構造に自らの不幸を帰属することは、自らの被害者性を高め、敵対的な立場をより強固にするだけであった。もっと別のパーソナルな部分で、乗り越える必要のある課題が僕にはあったのだ。だから、ホモとかホモじゃないとか、この点においては、もうあまり関係ない。そして、もう1つだけ。人を変えるのは、否定ではなく、肯定ということ。敵対的な立場でいろいろ物を言ってきたが、そんなんじゃ人は変わらない。批判されて良い気分になる人は少ない。批判によって動機づけられたとき、そこには自律性が欠如している。デシとライアンの自己決定理論でも、人を動機づけるには、自律性支援の視点が大切だと言っている。僕にとって、「親和的vs敵対的」は、何回も考えているし、大きなテーマであるのだなあ。僕が人間性心理学が好きなのも、基本的にはその辺のテーマが関わってくる。人間の良いところを信じて、受容することによって、人が自発的に変化するのを支援する。そのために、世界や他者に対して、親和的・肯定的である必要があるのだ。

 

③僕は態度がころころ変わる。ちょっと前は、lgbtの活動に全面的に賛成してたのだが、うまくいかなさから、ちょっと冷静に見るようになったように、本当にコロコロ変わる。あまりコロコロ変わり過ぎるのもどうなのかなーと思いつつ、でも、良い意味で考えると、成長してるってことだし、自らの問題を対象化し乗り越え続けているともいえる。今は、社会的な差別構造がゲイに与える影響ではなく、社会的な差別構造を是正する活動を行うことがゲイに与える影響に興味がある(笑) まさに、自らの体験の過程が反映されており、それを対象化している。

 高橋一生さんが、インタビューで「長所は人によって態度を変えること」と言っていたのが面白かった。態度を変えるの意味が違うけど、まあ、ネガティブに捉えられていることも、長所にしていいんだって感じ。

高橋一生の長所は、人によって態度を変えること。「僕は恋人の過去も聞きたくないし、気にしません」恋人の嘘もOKとするその恋愛観とは? | B-CHANNEL

 

④ホモに対する世代別の感覚は面白いな~。以下は、浅原さんのツイート。僕は、バリバリ真ん中。

青春時代を何と過ごしたかによって変わる印象です。保毛尾田保毛男と過ごした世代は「ホモ」=嘲笑の対象なので嫌がることが多い。そこから下の世代になると青春時代に触れる「ホモ」は腐女子の「ホモ」で肯定的ニュアンスでそこまで抵抗がない。ただしさらに若くなると再び「ホモ」=嘲笑に戻ったニコニコ世代が来るはずで、その子たちがどう思うのかはあまりサンプルがないので分かりません

 

⑤総じて言うと、いろいろ難しいね~~。本当に難しい。だから、「これが絶対だ!」って安易に言えないなあと痛感する。相手の意見を丁寧に聴いていきたいものです。