うにょのブログ

基本的に読書

アイデンティティの確立なんてくそくらえ

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 ジェームズ・マーシャに両腕を後ろから押さえつけられた挙句、エリク・エリクソンに頭をグーでぶん殴られそうなタイトルである。私は専門家ではないため、適当なことを言っている可能性が高いことを初めに断る。なぜなら、マーシャとエリクソンの代わりに善良な読者に不意に殴られるかもしれないからである。

 本日図書館に出向いたところ、リサイクル図書として冒頭の写真にある雑誌が置いてあったため、無料で持ち帰らせていただいた。私は坂口健太郎さんのことが好きである。好きと言ったが、坂口健太郎さんの写真集や作品に積極的にお金を使うほどのファンではない。もともと特定の芸能人を崇拝するような習慣が私にはほとんどないというのもあるが、彼は、ゲイに好きなタイプを訊かれたときに答えるような便宜的な存在というのもある。しかし見つめ合ったら恋に落ちてしまいそうなほどに顔はタイプである。どことなく上から目線になってしまい申し訳ないが、そのような文体なので仕方がない。余談ではあるが、この雑誌の特集は、坂口健太郎さんだけでなく、「本とお菓子」「男のためのBL」と資料としても興味深かった。

 さて、この雑誌内で彼のインタビューが掲載されている。勉強をしに行った図書館内で約1時間ほど読み込んでしまう程度に彼はインタビューの中でマーヴェラスなことを述べている。その部分を引用させていただく。

 好きな言葉は「なんかいい」。この”なんか”という曖昧さに坂口さんらしさがある。

 「決めるのが好きじゃないのかな、自分のことも含めて。どういう人間だ、とか、もちろんある程度認識していることはあるけど。実際、夢とか目標とかもないし・・・・・・って言っちゃうと誤解を招きそうですね(笑)。でもほんとに、そういうのもないんです。よく、5年後にはどんな俳優さんになっていたいですか、とか、訊かれるんですけど、その姿をあまりにも明確につくりすぎてしまうと、その方向にしか進んでいかないような気がするんですよね。道が一本しかなくなっちゃうというか。靄がかかっていて先が見えないほうが、手探りで進んでいける。寄り道や回り道をしたほうが、いざ5年後がきたときにきっと今よりずっとおもしろくなっているんじゃないかな」

 彼の発言を一読した際、私は安堵した。「曖昧で良いんだ」。私は、アイデンティティの確立の呪縛に縛られていたのである。当時と社会的な背景も大きく異なっているが、エリクソンによれば青年期の発達課題はアイデンティティの確立である。それは、自分は何者であるかという問いに答えられるようになることを意味する。アイデンティティの確立の他にも、他者と会話をする中で、その呪縛を強化するワードがたくさん出てきていた。「軸を持つ」「芯を持つ」「自分を持つ」「信念を持つ」。それらの言葉に縛られていた私は、優柔不断という性質を元来持ち合わせていることもあって、自分の固定化ともいえるアイデンティティの確立を目指し、種々の模索を試行した。しかし「これだ!」と決めても、アイデンティティの確立が出来ている気がしなかった。むしろ閉塞感が募るばかりであった。そのような中、彼の発言を受けて、自分の中の優柔不断さが肯定されたような気がしたのである。

 そこで話はタイトルに戻る。アイデンティティの確立なんてくそくらえ、である。この種の疲弊は、カミングアウトをめぐる問題にも似ている。近年、セクシュアルマイノリティの社会的な運動が盛り上がり、自分らしく生きることが素晴らしいという言説が流布している。確かに自分らしく生きることは心理学的にもwell-beingに寄与することは間違いなさそうである。しかし、あまりにその価値が一元的になりすぎると、至上主義に陥ってしまい疲弊を感じてしまう可能性がある。以前、「やっぱりカミングアウトした方がいいのかな」と言っていた同年代の方に出会った。その意図は不明であるが、周囲の「自分らしく生きることが素晴らしくて、そのためにカミングアウトが必要だ」という風潮を自分の中に取り入れ、その観念に現在の自分が叱咤されることによって葛藤を生じさせている可能性あると私は感じた。仮にそうだとすると、不必要に自分を苦しめる周囲の風潮にくそくらえと言うぐらいが丁度よいのではないかとも感じたのである。

 もしかしたら「アイデンティティの確立なんてくそくらえ」という回答が、私にとってのアイデンティティの確立と同義になっているのかもしれない。周囲の影響に左右されず、頭の中にしかない空想的な状態よりも広がりを持った存在として今ここにいる自分を肯定する。曖昧さを伴った優柔不断な自分でもいい。しかし”優柔不断な自分”を固定化しても、閉塞感を覚えてしまう。そのため、自分を何者かに固定せず、流動的に生きていきたい。やっぱり、アイデンティティの確立なんてくそくらえ。